Profile

和太鼓演奏家・太鼓唄奏者
山本流日本太鼓塾師範
さとおと太鼓研究所主宰・監修
三木音頭保存会ほか所属

 

兵庫県出身。
幼い頃から茅葺家屋や五右衛門風呂が残る地で、自然音、祭りの音、盆踊りの音などだけを聴いて育ち、400年以上、奉納され続けている水にまつわる踊りに9歳から関わる。
10代でプロの演奏家を目指して日本中の郷土芸能や太鼓団体を訪ねて歩く。

 

 

 

 

 

 

1992年、七年目に一度の御柱祭の前日に諏訪に到着し奉納。
諏訪大社の太々神楽を復活する過程の中で「大人数で大小様々な太鼓を打つ」組太鼓の概念を創始した「信濃国一之宮諏訪大社太々神楽 無形文化財 御諏訪太鼓」の楽園に入門。内弟子として、10年に渡って長野県に住み込み、奉納活動と巡演活動を続ける。
創始者・小口大八氏に組太鼓を、日本太鼓塾の山本幹夫氏に古式打法を師事。
世界、日本を巡演する公演班のメンバーとして舞台に参加しながら、映画や芸能人への和太鼓指導者・プロデューサーとして活躍していた師の元、10年間、助手としても活動。

独立直前、交通事故に遭い、半日起きられず両手が上がらない状態となり、療養生活を送りながら日本音楽専門誌の編集・執筆者として記事を執筆し始める。その後、日本の和太鼓の専門誌が創刊。企画から取材、編集、執筆まで担当。
リハビリ期間中に、民謡太鼓の木津茂理氏に民謡・太鼓を師事し、木津茂理社中として日比谷野外音楽堂などの公演などで民謡太鼓の世界を深く学ぶ。復帰後は、東京・神奈川にて三味線、笛、尺八、琵琶、筝、中国琵琶、二胡などのプロ女性演奏家らと音楽活動を行う。

 

 

 

 

 

 

雑誌の取材中に、全国的に過疎化で消滅の危機にある郷土芸能の姿を知り、日本文化の原点は、子どもたちが一番最初に出会う地域文化であること、土台なくしてその上は成り立たないと考え、郷土芸能の中の楽器や奏法、継承方法などを調べて記録していく「日本のふるさと音めぐり」を企画。民俗音楽学者、日本音楽専門誌編集長ら専門家の支援のもと芸能調査にあたるなかで、自らの故郷の郷土芸能も廃れていることを知る。
「その地の水を飲み学ぶ」ことを実践するため2010年末に全ての仕事を引退して帰郷。

 

 

兵庫県の盆踊りの音頭の継承者となり、多くの神社奉納を始める。2010年、むかし、郷土芸能が持っていた世代間交流を復活させるための場「さとおと太鼓教室・関西」を創設。
地域文化を深く学びながら、戦国時代、室町時代、弥生時代、縄文時代など時代を遡り楽器や編成を古文書や屏風絵などから再現することを続け、「人間の身体のリズム」に到達。唄いながら仕事をしていた当時の「作業唄」に着目し、手作業での田んぼを運営する中で多くのしごと唄を再現。さらに、酒造り唄、そうめん作り唄、機織り唄など、日本中の伝統産業を訪ね歩いて探求を続ける。

稽古場本拠地を神戸市西区神出町の神出神社の麓にある場所に定める。
雄岡山、雌岡山の2つの山の神楽復活を目指して、稽古場メンバーたちと土地の伝説について調べ、兵庫県全域で多く起きていた水争いを鎮めた人々の伝説を音楽物語にして発表。

三木市では2012年から10年間、地域の高校生らと郷土芸能継承者らを結びつけ、土地で伝統的に行われている戦国時代の武将たちを鎮める祭りのための芸能「三木武陣太鼓」を高校生、地域団体と共に創り上げる。

2014年からは、環境教育専門家と「農村にしごと唄ワークショップ」を開催。すべての米づくりの過程を手作業で行い、当時唄っていた唄を復元。その地の地名にちなみ「みずほの国の米の唄」とし1年間の米づくりの様子を描いた舞台作品にまとめた。

 

2019年、「作曲家と演奏家による組太鼓新作公演」を企画。現代作曲家に宮沢賢治氏の童話「インドラの網」をモチーフとした新曲「風の太鼓」を委嘱。龍笛・能管・篠笛・笙との新作と同時に、「みずほの国の米のうた」、組太鼓創始者の孫にあたる山本麻琴氏を迎えて創始者の作品にも挑んだ。

同年、アメリカにてネイティヴ・アメリカンの儀式「サンダンス」に参加。自分たちの民族文化を取り戻していったアメリカインディアン達を率いたデニス・バンクス氏の跡を受け継ぐ多くの人々と出会い、儀式の中で祭りの原点を教えられる。

農耕民族と狩猟民族のリズムの違い、楽器の違いについて探求し始め、韓国、中国、モンゴル、インド、アラブなどの打楽器演奏家、舞踊家のもとで学び始め、世界中を巡る楽器の変遷について探求し始める。

岩手県盛岡市、沖縄県、北海道を始めとした日本各地の芸能を住み込みで勉強しながら2021年、淡路島の教室立ち上げ依頼で移転し海の音の探求をスタート。漁業の中で唄われていた唄や音頭、人形浄瑠璃などについて研鑽。同時に丹波・福知山にて山の音の探求をスタート。林業の中で唄われていた唄や能楽について研鑽。

手掛けたおもな事業としては、2010年9月、文化庁「子どものための優れた舞台芸術体験事業」、2011年1月、世代間交流学会「世代間交流活動」(世代間交流学会・兵庫教育大学)、2011年10月、兵庫県乳幼児子育て応援事業(兵庫県姫路市)、2014年8月「JICA アフリカ地域 地域保健担当官のための保健行政B(仏語圏)」コースの研修でアフリカ人医師13人の指導を担当。2015年には単身でイギリスでのコンサートや芸術学校でのワークショップを行う。2021年より淡路島にて舞台制作会社の主催教室の立ち上げに尽力。

また、学校や社会の中で日本文化に触れる機会が少なかった日本人に対して、楽しく興味深く日本の音の特性を浮き彫りにするライブ構成を企画。2011年、ピアノ、アフリカのジャンベ、ギターなど地域の若手演奏家らを採用したジャパニーズファンタジーバンド「VONBON」を創設し、様々な和楽器と洋楽器、アフリカ楽器を対応させたユニークな内容で2014年に全国ツアーを敢行。2015年にメンバーを写真家、DJらで再編し視覚と聴覚の要素を盛り込んだステージを発表。プロジェクトマッピングや自然音、郷土芸能の音源を用いてEDM、エレクトロ、ポップスの分野にも参入するVONBON JAPANファーストアルバムをリリース。全世界に向けても発信。

2020年より、多くのインスピレーションを受けるようになり、火と水、鳳凰と龍の太鼓を製作。
火と水の祭祀、龍宮のマツリをテーマとした舞台を制作。

生誕地と、すべての稽古場の場所が、東経135度線上であったことを後に知り、約10年間、育成してきた地域のリーダー達と共同で、稽古場を東経135度線上の海、郷、山の3箇所に置き、それぞれの地域の農業、伝統産業、水の流れ、身体の動き、暦、生活リズムなどを探求。

現在は、米や野菜づくり、野草採取などの生活をしながら、伝統芸能、民俗芸能、神楽、沖縄音楽、アイヌ音楽など日本すべての音楽、文化を慈しみ、先人の足跡を学び続けながら、日本の音世界、美学の探求を続けている。

 

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